戦時中の苦労
人も増え、トフメルの販売も順調になった頃、戦争がいよいよ本格化してきました。
原料資材の購入も困難になり、トフメルの基剤であるラノリンなどは自社で精製し、原材料倉庫は分散させ、戦時体制を整えていきました。しかしその努力の甲斐無く、度重なる空襲でそれも全て灰となってしまいました。そして完全に灰になった本社工場跡地で、まさにゼロからの再出発をしました。
当時の社員の努力で焼け野原から廃材を集め掘っ立て小屋の事務所を作り、防空壕の焼け跡に残っていた製造機器を置き、不完全ながらも何とかトフメルの製造を再開しました。